つかちゃん

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故郷へ帰る私への賛歌op.1(副主題:愛とは何ぞな)

タイトルに、"(笑)"をつけるのを忘れました。調性は無調です。オーパスレッテルとの違和を感じてくだされ。おふざけはここまでにしておいて…アメブロやFacebook、Instagramなどを閉鎖し、今後の投稿はこちらを中心に展開していくこととなりました。果たしてこちらは誰が読んでいるのか解らないのですがそこがまた、いい。過疎地帯へようこそ。SNSを辞めたきっかけを簡単に。理由はインスタントな感性で化学調味料だらけの全く下らない反応をする輩が多いからです。特に、威張り散らかしたおっさんらです。想像力のない人のお相手は疲れます。皆ヒマなのかな?血迷ったエゴをぶつけられることほど苦痛なことはない。ところがこういった個人的なブログならとそんなことはあまりない。自動フィードにより自然に目にすることがないから反応害が少ない。ただただ自分の文章表現ができる。放出するのみ。だから疲れない。『だったら紙の日記で内々にやれよ』、と仰るかもしれませんが、他人に表出することで言葉の責任みたいなものが生まれるということを大事にしたいのでこういう形を取っているだけです、まあこれも自己愛か。悪しからず。さて、表題にあるとおり、2019年の8月より故郷である沖縄を拠点に生活することになりました。内地生活15年めにしてとうとう故郷へ戻る時が来るとは…。あ、結婚や出産とか無関係です。(よく聞かれるのでw)わたしには、そもそも、所謂恋人というものはもう永らくおりません。(永らく、という表現は至って個人的なものですが)そんな私でも、ー愛というものは常に持っています。音楽愛、自然愛、家族愛、故郷愛、友愛、肉欲的性愛、単純異性愛、動物愛、自己愛(笑)、…ごろごろと鍋の上のなかなか煮えぬ肉片のように転がっています。ここで第二主題です。愛とは、なんぞな。今一度整理しておきたいとおもいます。私の理想の愛とは、充たされないないもどかしさ…、だと言い切れるかもしれません。つまり、充たされた途端に私の中にある特別な感情は儚く消えていくのです。あくまで自論です。愛する"こと"や"もの"が在り、それら"から"享受できる愛がたとえ無くても、つまりその愛が私"から"の一方向なものだとしても私自身がその対象を愛し、信じることができるのならば満足だと私は感じています。愛されることと愛することは全く別物なのです。孤独で居続けながらも何かを愛する気持ちを持ち続けるためには、愛のベクトルが私に過剰に向かってくることを避けなければいけません。大作曲家のブラームスは、師であるシューマンの妻クララに青年のころから恋焦がれ、彼女が未亡人になってからも結婚することなく、朽ちるときまでクララを愛し続けました。クララからの愛を感じながらも、結ばれることはなかった。敬虔な宗教信者がその主に己を捧げるかの如く、美しい音楽や美術に心酔するかの如く、その対象を謙虚に愛するということは私にとっての理想の愛の姿なのです。『独身であることは不幸であると同時に幸せでもある』と言う言葉をブラームスは残しています。その孤独の結晶は、特に彼の晩年の室内楽作品に色濃く表現されています。彼の作品から、満ち足りることで逆に失われる沢山のものとの葛藤…みたいなものを勝手に共感解釈しています。芸術に身を捧げるものは孤独であるべきなのです。二兎を追う者は一兎をも得ず。ただ、孤独は芸を助けますか身を滅ぼします。誰にも理解されず分かり合えないということは、精神的にはとても堪えないものがあります。そう。悲しいかな、孤独に憧れるけれど耐性がないのです。芸術的観念からくる孤独への憧憬とはウラハラに、弱い剥き出しの人間の姿がそこにあります。矛盾かもしれませんが孤独でいるもうひとつの理由は自己防衛にあります。あぁ、複雑です。たとえば結婚していて子供を授かり、家族という小さな共同体の中にいたとしても、数多に友人がいたとしても、我が身を捧げるほど愛せる恋人がいたとしても、肉親の元に戻りのんびりと暮らしていくとしても、動物を愛し共に暮らしても、自然を愛し守りつづけたとしても、芸術を愛したとしても、……人は結局孤独なんです。だから独りでいるほうが、あらゆる局面において悲しみ、辛身は少ないのです。誰かを傷つけることもなければ自身が傷つくこともない。別れや他人の痛みを感じるということ恐ろしいものはありません。親よりも自分が先に死んでしまいたいくらい、近しいものとの別れの恐怖に囚われているかもしれません。だから自ら新しく家庭を持たず環境的に独りでいる、ということは、今後待ち受ける新たな別れから自分を守る最大の防御なのです。私は愛を受け売りすることを避け、"持つ"ことだけにしました。そしてそこから、見いだした答えが一方向の愛なのです。ちょっとヤバいヤツオーラがありますが、ご安心ください。その愛というものを押し付けることは勿論ありません。息の長い、脈々と続く、やがて果てる人間の細やかな寿命のような愛なのです。誤解いただきたくないので断りますが、これはなにも異性愛のことを言っているのではなく全ての愛について語っていることなのです。そういうことなので、私は愛を持っていますが、持っている"だけ"ということになりそうです。内に漲る愛。そこだけを取り出してみるとメランコリックに聞こえる一方で、その愛たるものが過剰に分泌されることで産み出される依存心は、憎しみ等々を作り出すネガティブな要素と捉えられるかもしれません。愛の果てに自意識が剥がされ、欲望の制御か効かなくなってしまい、そのうえ歪んだ自己解釈までが増長していく人は少なくありません。思い通りにならない相手を殺めてしまう人だっています。オペラのような世界といえば劇的ですが、いにしえから俗世にはありとあらゆる人間模様が散らばっています。まるで消費期限切れのちらし寿司のように生臭く、分断された個々の我が儘が散らばり尽くされているのです。ところがこのキタならしい人間の膿やアクたちも、こと芸術の世界に於いては格好の餌なのであります。ご周知のように過去の偉大な芸術家の養分といえば言わずもがな、穢れ、嫉妬、確執、依存、偏執、執着…などなど挙げるにキリがないほどのネガティブワードに満ち満ちています。呆れるほどです。人は欲にまみれ、恥ずべきものだとされています。でも私はそれを全く否定しません。きたならしく穢れていて、削ぎ落とされるべきとされるその欲望を持っているからこそ、発想するのです。抑圧の中に生きる市井人にとって、己のその秘めたる潜在的な創造感覚を呼び起こされるこの非日常的衝撃が、芸術作品と成りうるのです。何を以て愛、徳とするかは個人の美的感覚に委ねるとして、それが個人にとって生きる上でのナニガシかであるかを吟味することは、生きる苦しみからの離脱を促してくれるかもしれませんね。…おもむろに書き始めたこのエッセーが、まるでシューベルトのとあるソナタのように天国的に冗長なものとなってしまいました。末筆ながら、つぎに大袈裟な例え話でもって再現部かつコーダとし、主題を横断してみようかと思います。私のことを、この世から抹殺しようと思っている人がもしかしたらいるかもしれません。(かなりいたりして)それはそれでいいでしょう。あなたが私の人生を終わらせることで得られるものが多分にあり、もはや大義名分であるとまで仰せ使わすならば、その事実が私の生きた証たらしめるわけであります。つまり、私を殺めることであなたの人生に大きな変化や幸福ももたらすのならば、私の生存価はゼロではないということが判明できますから、幸せなことかもしれないのです。誰しもが、この世に生まれてきた意味やこれから生きていく可能性に苦しみ続けることと思います。そしてそこには愛というものの存在が付きまとうかと思います。結局は生きるということは、謎に満ちた愛と呼ばれうるものをコントロールする苦しみの日々なのでしょうか。この愛の実際的な存在や、それを持つべき理由みたいなものはこの科学の時代をもってしても見つからない。死んでからもわからない。永遠なるエニグマなのですね。愛とはなんぞな。なーんて、腕ひしぎ陶酔固め~なひっちゃかめっちゃかなエッセイを書いたところで沖縄での仕事が増えるわけではないのだけれど、とりあえず少ない読者wに向けてご挨拶を兼ねた投稿となりました。こんどはちゃんとしたソナタ形式でエッセーしてみたいと思います。これじゃあソナチネにもならねぇな。ただ、再現部が第二主題メインになるところはブラームスっぽいでしょ。(ムリクリ)ということで今後も芸事に我が身を捧げつつ、一方向の愛の対象は姪と実家の犬さまと猫さま(どちらも推定年齢が人間だと80歳くらいの老犬老猫で余命幾ばくかだし私のことを全く覚えていない)に重きを置きつつ、益々精進する次第であります。あ、故郷へ帰る理由については書いていなかったのでまた今度。

恩師、浜村昌子先生

沖縄を離れ19歳になる頃の私は、神戸の小さな音楽学校で素晴らしい音楽家に出会った。それは2004年の春だった。唯一無二なる音楽家、浜村昌子先生。そのころのセンセはドレッドヘアー!(ファンキー)いつも穏やかだが時折少し神経質な印象で、声色や話し方に特徴のある方だった。音楽の現場では泣く子も黙るほど、どこかピリッとさせられるようなそんな空気をビンビンに出していた。在りし日々の先生の芸術家たる趣を思い出す。甲陽学生時代の毎週のレッスンでの浜村先生は、いつも厳しい聴感覚で対峙してくれた。発せられた音に対しミクロに考察をし、アドバイスをくれた。あの頃の私はがむしゃらで、理解できない事が多かった。私自身、音楽的どころか人間的にも稚拙だった。文字通りの青二才で、テクニックばかり追い求めていた。時にはレッスンが嫌になることもあった。先生が遠すぎて理解できなかったし、できないもどかしさも募り苦しかった。憧れが強すぎて、近寄り難かった。とあるレッスンを思い出す。センセ『梢さん…、もうすこしシンプルに。ちょっと弾きすぎてんと違う?やりたいことを押さえて…よく自分を聴いて。一人で弾いてても、そうでなくても、もっと環境を聴くねん。それから…、…あなたはチャーリーパーカーをコピーしてみるといいかも。次までになんかのソロをコピーを暗譜してきてね。歌いかたを真似るねんで』抽象的なアドバイスと具体的なアドバイスのそのバランスは、私の助けになった。自分の弱さを知るのが怖くて逃げ出しそうになったこともあったけど精神的にもとても良いレッスンの連続だった。先生の『イェー…』を引き出すために必死になっていたレッスンの日々を思い出す…。甲陽音楽学院を卒業後…、3年近く経った2009年に私は東京へ引っ越すのだが、卒業後2006年~2008年の三年間ほど、センセーは私に色々なお仕事を紹介してくださった。垂水JB-5での定期的な演奏の紹介、そこから派生してレギュラーとなった名谷エムズキッチンでの演奏。三ノ宮グリーンドルフィンでの演奏アルバイトのお仕事…、本当に本当にお世話になった。卒業後しばらくして、アッコルド神戸で行った山本昌広さん(サックス奏者)とのデュオライブに遊びに来てくださったことがあった。『センセー!ありがとうございます。でもセンセーいらっしゃると余計に緊張しますわー(汗)』と言う私に、『ちょっと、もうセンセーはやめてよ~。もう同じ音楽仲間やで~!』とニコニコしてくださった。そんな私は『じゃあ先輩!いや、なんか違いますね、、やっぱり先生としか呼べないないです…!』と、慌てた。いろんな気付きをくれた浜村先生は、ずっとずっと、私にとってかけがえのない恩師なのだ。東京へ引っ越して暫く経ち、先生からライブのお知らせが届いた。阿佐ヶ谷のとある小さなクラシカルなお店でサックス&ピアノのデュオライブだった。ええ、勿論行きますとも。その日はスタンダード一本勝負。勿論、すべて暗譜。やっぱり、凄い。なんなんだろうこの人。の連続。この人の音楽はどこから来ているのだろうか?オリジナルをやってもスタンダードジャズをやっても関係なく、ハマムラマサコの音楽。地底から抉るようなピアノの音。紡ぐ旋律は呼吸のよう。嘘が無い。その衝撃は、以前からもその後もずっと変わらずにいた。この人の音楽をずっと信じよう。目標にしよう。その時も改めて感じた強い憧れ。アーティスト浜村昌子の演奏を生で聴くことは私の一番の学びだった。なんなんだろうね、本当に。今でも解らないんだよね。なんなんだろうね、あの人の音楽。どうやってもたどり着けない境地。未だに解明できないまま、センセー、虹の橋渡っちゃったー。大病されている…という知らせを、旅立たれる一週間ほど前に聞いた。約一年も闘病されている事実は後になって分かったが、居てもたってもいられなかった。すぐに神戸へ出向いた。気づけば、ご子息ミアキくんが生誕されて数ヶ月した後、後れ馳せながらのお祝いを持参しご自宅を訪れた時以来だった。緩和ケア病棟だった。辛い闘病生活をうかがわせるご様相に、一瞬戸惑った。『センセー、ご無沙汰です。わたし…藝大もなんとか無事卒業しましたよー…それから、今年のうちに実家の沖縄へ戻り、のんびり、音楽やりながら暮らすつもりです、なんとかやってますよ』と話しかけた。先生『そうかー、ほんまー、そうかー、よかった…』とニコーっとされた。同行していた甲陽音楽院同期のヴォーカリスト、さなえさんは、行きしなに桜枝の切れ端を花屋で身繕った。さなえさんが手渡しした桜の花束を見てニコっとされた。『センセー、桜、たくさん咲いてましたよー』そう声をかけると、嬉しそうに桜を見つめた。ナースコールを押す力も、自分で起き上がる力も、あまり残っていなかったけど、笑顔で『ありがとう、ありがとうねー、』って声を振り絞って言ってはった。『おいわい(見舞い金)…、ありがとう、でも気遣わんでよー、…』そこでさなえさん、『センセー、おいわいじゃなくてお見舞いですよ、早く元気になってそれ返してくださいねー(笑)!こんど奢ってください!』センセ『ほんまや…!せやな…!』と目を閉じながら笑った。こうして、私たちは別れた。もう少し暖かくなった頃にまた会いに行こう、そう信じ東京へ戻った。その一週間後、先生が旅立たれた、と…知らせが届いた。もっと前に、元気な先生といろいろな話がしたかった。ピアノ、聴きたかった。『またね、』『今度ね、』という言葉に案じてはならない。会いたいとき、会えるときに会いたい人に会おう。伝えたいことは思ったときに言おう。『また今度、』なんて、絶対じゃないからね。人と人との繋がりほど大切なものは無いよ。センセーにまた、教えられてしまった。センセ―、ピアノ、また弾いてくださいね。(2019年4月11日ー神戸から東京へ向かう新幹線にて回想)

トップクリエイターの対談をきく

今日は放課後に藝大で素晴らしい対談企画があった。作曲家・千住明さんとクリエイティブ・ディレクター箭内道彦さんの対談イベント!箭内氏の「早合点と瞬間沸騰の時代」という表現が物凄くエキサイティングだった笑こういう言い回し、コピーライターの糸井重里さんもそうだけど、ただ知識を詰め込んだインテリジェンスにはない、発想の柔軟さを感じる。簡単な言葉で分かりやすくアートに関しての本音を語ってくれていた。専門用語や哲学用語を並べ文化人気取り、べらべらゴタクをならべてるクセに全く本質を付いていないどっかの専門家とは大違いですね!(^^;今回の対談から学んだことは、本来わかりにくいはずの芸術というものを、わかってもらえるアート作品として創作し、いかにして発信するのか?ということ。芸術って、簡単に理解されないものだから芸術なんだ!と呼ばれる定義を暗黙のうちに秘めてますよね。「あれ?なんか?よくわからないけどすごそうだぞ?」そのセンサーが働くと、その作品はその人にとって芸術作品だし、 「こんなの凡庸で、ありふれた作品だ」なんて感じる人にとっては全くなんでもないものになる。それとは別に、作品そのものの良し悪しと関係ない領域が多くの観客には重要だ、という現実がありますよね。たとえば、天涯孤独のアーティスト、や不幸な生い立ちを乗り越えた表現者…などのドラマ性、付加価値。要は作品の伝え方なんですよね。作品がどうのこうのではなく、演出の技法。これも芸術=アートの範疇だぞと。「芸術」と「アート」言語としてはイコールなんだけど、「アート」というほうがより身近だね、という論題も興味深く、いろいろと感じるところがあった。日本独自の和製英語と日本語との語感のハナシなんだけど、例えばポップアートといえば、単純にいえばアメリカ現代美術のウォーホルの作品群など、日常に溶け込んだアートのことですよね。日本文化で当てはめるなら、秋葉原のアニメ漫画文化や、リヴァイヴァル(リアレンジというか)された浮世絵なんかがサブカルチャー化していて特にヴィレバンなんかに置いてあるアートブックと並列されてるもの…なんかを連想したりもするのだけれど(笑)それを大衆芸術と言ってしまうと、これまた「お後がよろしいようで!」な雰囲気になってしまう(笑)最近、日本の大衆芸術の最高峰である文楽を初体験した私からしたら、戸惑いを隠せない言葉の距離感を感じるのだが笑?表現形態の表し方ひとつで、受け取る側の認識度も変わるのかなと。つまり、自分が表現しているものの伝え方次第で受け取る側は10とも100とも取れる幅があるんだなって思う。どんなジャンルに於いてもオーディエンスは、わからないものを受け止める時にどうしてもその作品を見る・聴く為の指針が欲しいから、その作品における補足情報の重要性って相当な浸透力を持つのかなと…。だから、私はなるべく美術館やアートイベントの時でも、前情報や作家のステイトメントは見ないようにしている。そんなもの、あとから調べればいくらでも見れるしね。瞬間瞬間の自分の受け取り方を大切にしたいなって思います。自分の感じたものと、作品のプロフィールを比較するのがまた面白いという楽しみ方なのですねー。すべての情報を得たあとで、また更に気になったのなら再度同じ展覧会やコンサートに行けばいい。インプットの二度付けは禁止されてまへんで!by新世界あーだこーだ言うとりますが、とにかく!あふれる情報に淘汰されず、自分の思考でもっと物事に向き合わなければいけないな、っていつでも思います。早合点せず、じわじわと自分の沸点を見極める、というところでしょうか。自分の反発力を信じ、人に惑わされず、突き詰める!なにはともあれ、今日はこの学校には、藝大アカデミズムに汚染されまくった教官ばかりでないことを再確認した!(笑)30歳目前で安定した生活、結婚・出産などいろいろ諦めて芸大に入ってきて、周りからしたらイカれポンチMAXの津嘉山ですが、今日の対談をこの学校の学生として聞けて良かったわーって本気で思いました。人生一回だ。博打しなくてどうする。作曲科学生推奨のアカデミズムガッチガチの講義に行く途中、音楽学部の前でこの対談のビラを配っていたカノジョに礼を言いたい!感謝!

"自然に聴く"ということ

先入観なしに、音楽・音を聴くことの難しさ 音楽をアカデミック(=学問的に)に勉強することで、作品の中で綴られた音それぞれの有機性、つまり一つの細胞(モチーフ)が枝分かれし関連・発展していくさまを認識することができるようになる。 けれど、その学習の先には大きな壁がある。 蓄積された形式(=客観的美意識)の強固なフィルターをいかに取り払い、自分の見たいもの又は聴きたいもの”以外”のものに強い意識を向けることができるかどうか。これがとてもとても難しい。 例えば、小さな子供や精神病患者の描く絵、作り出す音楽、詞や文学など、芸術の学術的な集団から離れたところで表現する、アウトサイダーアートの持つ激しい芸術性は、理性や慣習を超えて人間本来の表現欲求をまざまざと表出している。そこから得られるもののエネルギーたるや、想像を超えるものがある。アカデミズムに汚染(?笑)されながらも、彼・彼女らのように、いかに意識の外で内的知覚(音楽なら聴覚)を発動させられるかどうかが、私の試練だと思う。 "こうあるべき"からの脱却。 先日、音楽療法の授業で、あるビデオを観た。発達障害を持つ、7歳くらいの男児に対して音楽を介してコミュニケーションするという場面。セラピストとクライエントとの即興演奏でのセッションである。Hello,とか、男の子の名前であるSimon,という言葉に、即興的にいろんなヴァリエーションで音をつけた単純なものだった。けれど、これまで感じたことのない、超・音楽的な印象を受けた。(アカデミズムを超えたNatureなもの。それとしか言いようが無い。)理性の範疇をこえた生々しい一対一の発想に、特別な感情を刺激されたのである。美術に於いても、最近同じ体験をした。ちょうどいま、東京ステーションギャラリーでやっている、アドルフ・ヴェルフリの作品群は固定的な美意識やアカデミズムとは無縁の、人間本来の表現を感じ取ることができる。彼は、精神的疾患から罪を犯し、人生の後半を精神病棟で過ごした。そんなヴェルフリの作品群を目の当たりにしたとき、一番強く感じたことは、”情報量の多さ”だった。展示されている作品のすべてに於いて、キャンバスの空間にたくさんの情報が敷き詰められているのだ。なんというか…、空間を徹底的に埋めなければならない!という切迫した感じ。会話で言えば、沈黙が怖くてひたすら話し続ける…といったような。一言でいえば排泄物に近いものを感じる。意味はないけど、あるだけ全部発していく、放出していく、ともいうべきか…まさに垂れ流す…、というような、とにかくそんな印象。 でもそれが生来人間に備わっている表現欲求の至極自然な姿、なのではないかと。 興味深いことに、即興演奏においても、同じ現象が起きていることに気づいた。アカデミックに勉強していないプレイヤーのアドリブは音を網羅的に演奏し続ける傾向にある。ただただ連ねるばかり。そこにはフレーズ感や、音楽修辞学の概念が全く無い。”無”が怖いのだ。とにかく敷き詰められた音の絨毯。でも、時折思いもつかないフレーズを奏でたりすることがある。理性を超えた発想。それが究極のアウトプットであり、究極の芸術産物だと思う。 プロのジャズプレイヤーは、垂直的な和音感覚と水平的な和声進行のもと、即興ではあるが極めて論理的な発想でアドリブをしている。(とはいえ、直感的なこころのプロセスも伴うのだが)そんな、いちジャズプレイヤーである私からみたその映像や絵画作品は、とてもショッキングなものでありながらも、美意識を根源から揺さぶるようなものだった。 表現されるもの・ことには表現者と観客のそれぞれ主観的・客観的な空間(ギャップ)があり、その間合いを芸術家は表現の対象にしていると思う。時代によっては、その差異が狭ければ狭いほど金になり、広ければ広いほど物議を醸し味わい深いものになるんでしょか(笑)

音楽の存在

先日土曜日、以前より音楽活動の面で大変お世話になっている池上クリニック医院長の精神科医池上秀明先生が理事長を務めておられる特定非営利活動法人Kawasaki 精神保健福祉事業団(略してK事業団)の創設20周年記念式典にて演奏をさせていただきました。式典冒頭の池上理事長挨拶では、近年の大量殺戮事件の加害者に見られる責任能力の是非と、それを伝えるマスメディアとの関係について語っておられ、大変ナイーブな問題でありながらも先生ご自身がお考えになられたことを団体創設の理念と絡めつつ、印象深いスピーチをされていらっしゃいました。本当に伝えなければいけないことが放送倫理や人権の問題によって淘汰され、真実が歪曲されている実際がある。個人的または社会的思惑が交錯し、人々が学習しなければいけない倫理感が無意味に隠蔽されてしまう。悲劇はなぜ繰り返されるのでしょうか。人間のこころはコントロールできないものなんでしょうか。とはいえ、人間の精神がすべて解明され尽くしててしまったんじゃあ、芸術分野はなんとなく肩身が狭まくなるんじゃないかと思うのも正直なところ。なぜなら曖昧な感情やあらゆる意識を表現するのが芸術だから。芸術は、正であろうが負であろうがなんでも原材料にしてしまう。今日に至っては個人の情緒をより細分化して表現するようになった。無や沈黙を表現するものもいれば、爆発的感情から性的倒錯までをも具材にしてしまう。容易く触覚できないものほど、新しい芸術表現として取り上げられるものになる傾向にある。人間の持つ様々な感情すべてが芸術の原動力になるし、その逆もある。この曖昧模糊とした色合いを芸術は素材にしている。AI(人工知能)が発達し、人間の存在理由が危ぶまれる昨今。にもかかわらず、精神・人の心が、やはり未だ解明され尽くされていない実態のないものとして存在していること、このことが芸術分野の人間社会への介入を未だ確保してくれているのではないかと勝手に思っている。。コンピューター(マイクロプロセッサ)の脳細胞としてのトランジスタの集積度と人間の脳細胞の数は計算上、2018年にコンピューターが後者を上回る、とソフトバンクの孫氏が言っていた。子供のころ描いていた近未来がこんなにも早く来るなんて思わなかった。自動作曲プログラムもいずれものすごい勢いで人間の手によるものと遜色ないものになるでしょう。生身の人間による音楽に未来はあるのでしょうか。古来ギリシャの教育理念である自由七科(リベラルアーツ)のうち幾何学、天文学と肩を並べる科目である音楽が、数千年の時を経て未だ存在しているこのファンタジーには、人間社会に於いていかに衣食住以外の精神的な枯渇欲求が隠されているのか発見できるのではないでしょうか。何のために芸術が存在しているのか。存在し続けられているのか。往々にして真実は、隠蔽されたり塗り替えられたりするこの世の中。芸術は、音楽でも美術でも古来より常にその時代のプロフィールを伝える鏡のようなもので、歴史を代弁してくれるものが芸術作品として今日存在していることが多いわけであるから、芸術=真実という見方もできる。生々しい人間の生きてきた歴史を証明するもの。だから芸術に生きる人々は、芸術を全うすると覚悟を決めた以上、自分の芸術行為が社会にどのように貢献できるかをかんがえるべきだと思うし、それをかんがえない芸術家は単なる日曜作家として終わってしまう。"いかに社会貢献しているか"を審議していること自体、社会に対する自己承認欲求の表れであることには違いないのは事実だからそのアプローチの度合いは肝心だけど、センス良く迎合と反発を思考していくことで、芸術は人々の心に刺激を与え続けるのではないでしょうか。扇動をもすれば、反感も買う。そうそう、芸術は関心を持ってくれさえすれば非難されようがなんだろうがとりあえず伝導としては大成功だから、どんな形であろうが伝わればいい。残ればいいと思う。技術を磨くだけではなく、芸術が存在する意味を実際社会に照らし合わせ、価値あるものにしていく。これが芸術を生業にしようと決意した者が、成すべき社会貢献ではないでしょうか。